弐蜂

Shogo - Newspaper from Japan -

Published in Japan - Social interactions and entertainment - 05 Mar 2019 15:52 - 0

おうじょうとは、なんであるかをかんがえるところに、ぶっきょうがある。
じょうどとは、さとりのせかいか、あのよのせかいか、いのちのせかいか、
しんじつのせかいか、じぶんのかんがえのなかでこれをたしかめる。いず
れにしろ、ほとけのせかいである。おうじょうについて、たんに、いのち
をおえるときであるとすれば、これがひとのせかい。だが、じょうどがあ
り、にょらいとしてのはたらきがあり、おしえがみちびくせかいがある。
ここから、じぶんじしんが、みずからなっとくできるかんがえかたをみつ
けていくことが、ぶっきょうである。
ひとそれぞれのまよいにおうじたおしえがあって、じぶんがであうおしえ
にてめざめる。おしえをごえんとして、おしえにごえんをいただき、おし
えのうけとめをしんじることにおいて、これにみちびかれて、みずからの
なっとくがある。これをまた、うけとめながら、じんせいをあゆむもので
ある。

Support

Comments (0)