弐蜂

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Published in Japan - Social interactions and entertainment - 13 Mar 2019 16:21 - 0

じんせいをすべてくるしみとしていきることは、けっしてあくではなく、
よいことである。つまり、ひとびとをすくうために、みずからがくろう
することにおいて、これをじんせいにみちとしてさだめることは、もっ
ともよいことである。いんがおうほうのげんりは、このよのどうりであ
る。このぜんこんくどくによって、さとりのあかしがしめされ、かなら
ず、ぜんいんぜんかとしてのへいわとびょうどうは、そのかほうとして、
まねきよせられる。これをなしとげたおしゃかさまひとりをたたえるこ
とは、それがすでに、へいわとびょうどうを、しょうちょうする。
くるしみをうけるためのくぎょうではなく、ひとびとをさとらしめるた
めに、みずからが、くろうをひきうけるところにじんせいをさだめる、
おしゃかさまのさとりである。そのかほうとしてのじつげんのために、
じんせいをすべてしゅぎょうとしてこころえるところに、ぜんこんくど
くが、ぜんいんぜんかとしてじょうじゅする。合掌

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