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弐蜂

Pubblicato in Japan - Intrattenimento - 10 Feb 2019 21:59 - 0

すがたかたちのないほとけは、ちえのひかりのおしえそのもの。
だが、ここで、まさにそんざいとしてのほとけが、なんであるか?
とかんがえるとき、ほとけをみてみたくおもうのがひとのこころ。
おしえにあることばになっとくしても、これをじぶんのめでたし
かめたい。ぶつぞうや、えぞうは、たにんのさくひん。おしえの
ことばのうけとめであるじぶんのこころで、ちょくせつたしかめ
るために、みてみたいとおもう。あるいは、しんじつだからこそ、
ひととしてわからないおしえのぶぶんについて、そのかくしんで
あるほとけを、じかにみてみたいとおもうことがある。ひかりと
いえども、ことばのほうべんであるから。ときに、これをほとけ
として、ちかくし、かんとくしたいとおもう。もっといっぱんて
きにいえば、ほとけは、とうといものであるから、ぜひ、これを
じぶんのめでみてみたいというねがいをもってほしいということ
がある。

このほとけとのかんけいせいにおいて、じぶんじしんが、そこに
いるとき、おしえがあって、ほとけがある。ほんぞんでもなくて、
きょうてんでもなくて、じぶんのそんざいだけでおしえをうけと
める。そこにおいて、ほとけとはなんであるか?じつは、まさに
ここにこそ、じしんとむきあうときの、じぶんじしんとのであい
がある。おしえにてらされて、じぶんをみつめる。まさにここに、
ほとけのひかりにてらされるじぶんがある。

さらにおしえには、これが「ぼんぶ」であると、とかれる。そし
て、ほとけはおしえとしてのそんざいだが、そのはたらきとして、
にょらいである。すなわち、おしえがないと、ぼんであることも
できないにんげんが、ほとけをしれば、じぶんがぼんぶであると
しる。それが、じしんがぼんぶのじかくをうしなったときでも、
にょらいとしてのはたらきによって、つねにぼんぶとしてのじぶ
んをまもる。あるいは、ほとけをねがうとき、いつでもぼんぶの
じかくにかえる。にょらいのはたらきは、つねにこのよをてらし、
えこうとして、いつでもぼんぶとしてのひとのみをみちびくので、
だれでもじぶんのなかでいつでも、じしんのぼんぶをすてるのも、
ひろうのもじゆうである。
ひとが、じぶんでじぶんをわからなくなるとき、ほとけがあって、
それがおしえとして、わがみをじしんのうちにみいだすものであ
る。

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