弐蜂

Shogo - Avīze no Japan -

Publicēts Japan - Politiskās debates un analīze - 19 Jan 2019 04:57 - 0

じぶんのたちばが、くにのなかでかくりつするうえで、
しっかりとあんしんできるところが、だれでもおなじ。
しぜんなそのくにのすがたが、とうぜん、たこくにも
たすけとなる。

せいかつのじゆうは、じかんと、こころと、けんこう
が、じぶんのなかでまもられ、なかまとしてのおなじ
じゆうをたずさえ、そこにくにのせいかつがきずなと
してやくそくされる。

あんしんなへいわのみちに、しんらいをもとめ、ただ
ひとであることが、あらそいをこばむためにひつよう
なりゆうである。そのゆうきとりかいをしめし、みず
からのじゆうとする。
かってないけんであるが、どうぞ、よろしくおねがい
もうしあげます。

Ziedot

Kame Sennin

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