弐蜂

Shogo - Časopis iz Japan -

Objavljen v Japan - Družbeni stiki in zabava - 22 Jan 2019 00:04 - 0

おしゃかさまは、まよえるひとのよに、ひとりのこころざしから
しゅうきょうをたてた。それが、ぶっきょう。

ぼくはこれをまなぶものであり、これはしんじつとして、すべて
のいのちあるもの、つまり、ぜんうちゅうにひろがるしんじつの
おしえだとおもう。

ぼくは、このうちゅうが、やがて、いのちあふれるせかいになる
とかんがえる。
ときのながれは、かみのちから。いのちのきゅうさいは、ほとけ
のはたらき。ときのながれのなかで、こころがしんじることで、
ひとはひととしてすくわれる。

うちゅうもかならず、しんじつがみたされると、ぼくはしんじる。

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