弐蜂

Shogo - Časopis iz Japan -

Objavljen v Japan - Družbeni stiki in zabava - 22 Feb 2019 19:33 - 0

これは、ぼくのかんがえだが、じぶんでこれをたしかめることができた。
つまり、にほんには、しあわせのレールと、へいわのシステムがある。
そして、どうしても「はんにん」でなければならないというにんげんは
いない。ただ、ごかいと、まちがいがあるだけ。
さらに、にほんにおけるしゅうきょうは、どれもほんものである。ひと
のまよいはそれぞれだが、ひとつのさとりがほんものであるからには、
すべてのしんこうが、たりきのえこうである。すなわち、それぞれのこ
ころのじゆうのなかで、やがてにんげんをこえたしんじつにであう。
にほんじんは、じぶんのしあわせをえらびとるために、たしゃをひてい
するりゆうはなく、そのひつようもない。ごかいとまちがいのくろうを
ひきうけて、いままさに、しょうらいへ、まえむきにいきるみんぞくで
ある。

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