弐蜂

Shogo - Časopis iz Japan -

Objavljen v Japan - Družbeni stiki in zabava - 26 Feb 2019 01:23 - 0

さて、じしんがあって、ゆうきもある。だがぼくに
は、じしんがあっても、ゆうきがなくて、ふあんが
ある。けっかにふあんはないのだが、じしんにたい
するふあんがある。これは、だれでもあいてのはん
のうによってきえるぼくのふあん。ただ、このとき
にゆうきが、すこしだけ・・・。

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