弐蜂

Shogo - Časopis iz Japan -

Objavljen v Japan - Družbeni stiki in zabava - 05 Mar 2019 14:34 - 0

これはよいことだとおもっても、わるいけっかをまねく。これは、
ぜんいんあくかではなくて、これが、あくいんあくか。つまり、
ひとのちえは、かならずよいけっかになることがない。したがっ
て、すべてまよいだとかんがえるのが、むしろ、だとうなかんが
えかた。そこで、ぜんあくのきほんをまなび、じぶんのつごうで
はなくて、ほとけのちえにより、びょうどうと、しんじんをいた
だく。これにより、ほんとうによいことにめざめて、よいことで
あるとしんじて、けっかがわからなくても、このどうりにしたが
う。つねに、おしえをいただくたちばにたって、じぶんのつごう
のよしあしからあらそいにいたることをふせぐのが、にんげんら
しいじんせいであると、いまのうちからこころえる。ここにおい
て、じぶんらしさがなにかかんがえると、じんせいをみちとして
みいだすことが、せんじんのちえである。

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